ごきげんよう、会計士母ちゃんです。
今回ブログを書くにあたって改めて子供の習い事についていろいろ考えていたら、自分自身が経験してきた習い事(塾も含めて)の記憶もだんだん蘇ってきました。記憶が蘇る都度、先生達は今どうされているのかな〜と懐かしさと興味からネットで検索してみてるのですが、今でもご活躍されてそうなすごい先生がいましたので、ちょっと一息としてその先生について書きたいと思います。
その先生との出会いの経緯は、高校2年生の時、高校のクラスメイトのお姉さんに数学の家庭教師に来ていただいていたのですが、大学受験に数学を使うなら、米谷先生が良いとご紹介いただきました。早速、米谷先生が運営されていた『知恵の館』という塾の門戸を叩きました。名前だけでもけっこうインパクトありますよね😄当時、知恵の館は巣鴨にあって、場所もまあまあシブいのですが、先生のご自宅兼事務所なるマンションが個性的で強烈なインパクトを受けました。私の中でガウディみたいな建物として記憶に残っていて、そのキーワードで今回検索するとその建物について書かれていると思しきブログを発見しました(こちらに外観の写真も載っていました東京回遊録 ムンディ・アニムス 大塚)。
ムンディ・アニムス大塚という名称のマンションで、梵寿鋼さん(日本のガウディと呼ばれる男。建築家・梵寿綱インタビュー|美術手帖)という建築家の設計だったようです。奇抜な建物の中で数学を勉強するかなりシュールな経験でしたね笑 ちなみに普段の授業はこの建物の向かいにあった雑居ビルで行われていて、どうしても部屋数が足りない時の緊急避難用だった記憶はあるので、私もその建物に足を踏み入れたのは数回しかないですが😉 その後、塾自体が新宿にお引越ししてしまいましたし。それ以降、この建物を訪れることはなかったのですが、記憶には残っていていつかまた見てみたいと思っていたのですが、今回検索して2007年に取り壊されてしまったことを知りました😱思い出深い貴重な建物だったのでとても残念です。
で、肝心の米谷先生はというと、数学Loveな先生で、数学を楽しそうに教えてくれました。私はすべて数学を武器に大学受験を挑んだのですが、けっこう良い勝率でしたので、数学レベル普通の生徒への教え方も上手だったと思います👍 当時は物腰が柔らかく真面目な印象でしたが、同時に天才・奇才感もどことなく漂っていました。私が通っていた頃はまだ設立から3年くらいしか経っていなかったみたいなので、先生はきっと個性を抑えていたんでしょうね🤗 なので、先生がいま運営されていると思われる塾のウェブページが放つ雰囲気がある意味期待を裏切らずで嬉しかったです。塾生から数学オリンピックのメダリストも輩出しているようですし、すごいですよね。数学科出身の父ちゃん的にはすごいという言葉で片付けないで欲しいくらいとてつもなくスゴイことらしいです。そう思うと、私が文系数学受験のために教わっていたのは、贅沢過ぎるというかもったいなかったですね。これからの米谷先生とその塾生の方々のさらなる進化に興味津々です❗️あんまりウェブページを更新されていないのが残念ですが、、
そんな米谷先生が気になった方はこちらです→米谷達也 – Wikipedia
そんな塾が気になった方はこちらです→知恵の館