再びの会計士母ちゃんです。
今回、習い事をいろいろ検討しているうちに母ちゃんの習い事遍歴もいろいろ掘り起こすことができました😀もう記憶を掘り起こす作業が難儀な年頃になりつつあるので、今回に乗じて幼少期〜高校までに通った習い事(後半は塾ばかりですが、、)を書き留めておきます。
- ピアノ;年長さん〜小4まで近所の個人ピアノ教室に通っていました。中1夏に学校の自由課題に向けて、近所の音大生にピアノの家庭教師をお願いしました。なのにー、なーぜーな仕上がりでしたが😅
- スイミング;小1〜小4まで市川真間というところまで電車で通っていました。選手コースではなかったけど、すべての泳法はマスターし、個人メドレータイムを最後の方はやっていました。その個人メドレークラスになるとレッスン前にプールサイドでみんなで円陣を組んでイーケイケイケイケイケヘック♪(ヘック市川というスポーツクラブでした)という掛け声をするのですが、その円陣に憧れてけっこう頑張っていました!そのおかげで、学校のプールは早い段階で一番上の級(うちの小学校でいう黒5本)までいけました。
- そろばん;小1〜小4まで近所のおばあちゃん先生のご自宅に通っていました。商工会議所主催の検定では、珠算・暗算ともに2級止まりでした。
- お習字;小1〜小4までそろばんの先生と同じ先生に習っていました。何回か展示会に出した記憶はありますが、有段者ではないです、、、
- 新体操;小3の時にスイミングの前時間に同じスポーツクラブで習っていました。新体操の回で書いた通り、準備運動にすらついていけず早々に諦めました。。。
- 学習塾;小2〜小3の時に学校の勉強のフォローとして近所のご夫婦がご自宅でやっていた塾に通っていました。この塾の奥様先生の方から中学受験を勧めていただきました(たぶん兄達も受験しているので妹さんも挑戦してみたらという感じだったのだと思います)。
- ぶQ;上の奥様先生に紹介いただいた塾で小4の時に通っていました。最初は日曜テストからスタートしたのですが、この日曜テストで、世の中のレベルの高さに圧倒されました。日曜テストのシステムもおもしろくって、子供がテストを受けている隣の部屋で保護者がそのテスト内容の解説を受けて、保護者が家で子供を指導するという感じでした。ここで母ちゃんの母も中学受験へのギアが入ったと思われます。兄2人は地元の一応は中学受験を謳っている進学塾に任せっぱなしだったようで、本当の中学受験の世界を私の受験で知ったようです😅 それから平日クラスも中野まで電車で通塾しました。小4で定期券を持って1人で電車通塾するのは最初は心細くて、母には内緒で祖母について来てもらったりしていましたが、そのうち慣れました。電車で1人暇つぶしでよく路線図を見ていたので、今でも駅名を言われれるとこのルートが早いとか安いとかすぐに考えてしまう癖があります。この塾で最寄り駅が同じ子と仲良くなり、帰りはその子と一緒だったので心強かったです。ちなみにその子は塾では飛び級していて、私の一つ下だったのですが、私より頭が断然良くって、世の中すごい子がいるもんだと感心しました。その友人の母娘には受験の最後までとてもお世話になりました!そして、中野駅ホームのキオスクでいつもみんなで何か1つ買って帰るのが定番でした。人気はイカそうめんと梅しばタブレットでした。今思うと小学生女子のグループが20時過ぎの電車内でイカそうめん食べているのはシュールな光景ですよね😂
- 四谷大塚;飛び級していた友人のお母様の勧めで、小5の時にぶQから四谷大塚に転塾しました。当時、中学受験の最大手だったと記憶しています(今も存在していますよね)。当時の四谷大塚は正会員・準会員システムとなっていて日曜テストの場所は成績順(中野→お茶の水→渋谷→→)でした。競争意識を刺激するシステムですよね。。飛び級していた友人は最初からお茶の水で、私はなんとか渋谷まで這い上がった感じです。平日クラスもお茶の水校へ通っていました。お茶の水校に通っていましたが、平日クラスの校舎は特に成績順ではないです😄
- 国語の個人塾;四谷大塚の日曜テストの後に代々木にあった国語の個人塾(マンションの1室で生徒は10人いるかどうかくらい)にも通っていました。これもたぶん飛び級友人ママの紹介だったと思います。穏やかな優しい眼鏡をかけた男の先生だったことは覚えているのですが、他の塾のように強烈なインパクトとしては記憶に残っていません。。先生、ごめんなさいm(__)m ただその時に塾と塾の間時間が少なくて、人生初めて母と代々木駅改札内にあった立ち食いそばを食べて美味しい〜🥢と感激したのははっきりと覚えています。その立ち食いそばのわかめソバか、改札出てすぐにあったファーストキッチンのフィッシュバーガーを食べるのが楽しみでした。その頃ファーストフードのハンバーガーは食べてはいけないものとなぜか思い込んでいて、フィッシュバーガーなら罪は軽いと勝手に許して代々木に行く時だけに食べられる私にとっては罪深い贅沢な食べ物でした。今や1歳の娘もハッピーセットのお世話になっておりますが😊
- 算数の家庭教師;小5の時だったと思いますが、2軒隣に住んでいた当時東京理科大に通っていたお兄ちゃんに算数の家庭教師をしてもらっていました。寡黙なお兄ちゃんでしたが、とても教えるのは上手だったと思います(私も大学時代に家庭教師のアルバイトをしたことがあるのですが教えるのってすごく難しいです😓)。そのお兄ちゃん先生が持っているシャーペンになぜか憧れて(超シンプルなシャーペンだったのですが、なんか頭良さそうで笑)、母にねだったりしていました。まー、小学生は文房具好きですからね〜。
- SAPIX;またまた飛び級していた友人ママがTAPという塾から各科目のよい先生が独立してSAPIXという塾を立ち上げたのでそっちへ行こうと誘ってくださり、小6で四谷大塚から転塾しました。算数の霜山先生(いも)、国語の吉原先生(ぶんめい)、社会の神田先生(かんちゃん)、理科の奥田先生(おくちゃん)の授業はとても楽しくて、受験期の精神的なつらさを感じることがあまりなかったと思います。この4人の先生達の他に2人〜3人の若い先生達くらいで、教室も人形町の雑居ビル1棟しかなく、こじんまりしたアットホームな塾でした。先生達も気さくで、小学生分際にニックネームで呼ばれていることをむしろ快く思っている感じなくらい親身に接してくれました😼そんな雰囲気ゆえに第2の学校というくらいクラスメイトも仲良かった気がします。そんなSAPIXがどんどん大きくなって有名になっていくのは、卒塾生として嬉しいとともに勝手に誇らしい気分でもありました。志望校別にクラス分けされるのですが、御三家クラスに入っていた子達がSAPIXの成績に貢献しただけで、私はそのクラスにはとうとう最後まで入ることはできませんでしたので、ほんと図々しくもです😉 今はSAPIXに入塾するのも大変と聞くこともあり、もし子供達を入れたいと思った時に入れないかもと思うとちょっと心がソワソワしたりもします。でも、もう私が習った創業メンバーの先生方はいらっしゃらないと思うので特に拘る必要もないのですが、、受験するとなるとチラつく塾だと思いますので(我が子達が受験する頃には勢力図がまた変わっているかもしれませんしね)。あと、あの4人の先生達が独立した時、すなわち私が習っていた頃の先生達の年齢を私は越してしまったかもしれないということにもちょっとソワソワします。当時はSAPIXがこんなにも成長していくとは想像だにしていませんでしたが、授業を思い出せば当然の結果だったのかもしれません👍
- 野田塾;小5とたぶん小6(最後まで通っていた記憶もあるのですが、SAPIXと並行していた記憶があまりないのでたぶんです)に通っていた算数の専門塾です。この塾も飛び級友人ママの紹介で一緒に通っていました。この塾もすごかったです👀 池袋の伯爵という喫茶店の近くにある雑居ビルの地下会議室を土曜日だけ借りている感じの塾なんですが、その雰囲気もさることながら授業の方式が変わっていました。先生は飄々としたおじいちゃん先生(今思えばおじさん先生くらいの年頃だったかもです)が1人で運営されていて、ノートは真ん中で線を一本引いて、上段に問題、下段に解答を書くことで統一されていました。テキストとかは特になく、先生が黒板に書いた問題をノートの上段に書き写し、その後15分くらいの解答時間が与えられます。出来た人から先生の座っているところにノートを持っていき、○✖️をつけてもらいます。タイムオーバーになると解説が始まります。しかも、その授業の後方席には保護者が座っているのです。なので、保護者は自分の子供がいつ席をたって解答を先生のところに持っていくのか毎回ヤキモキしていたと思います、、先生は前方に座っているので、解答を持っていった後はどうしても親と目が合うのですが、早い時間で行けた時はヨシヨシ!的な眼差しだったと思います。逆に席を立てずに解説となってしまった時には後ろを見れない感じです。ちなみに最終問題はできた子から解説聞かずに帰っていくシステムで、1人また1人と周りがいなくなっていく感じはドキドキでした。後ろからの保護者たちのプレッシャーはすごかったです😅視線をバチバチ感じるとはまさにでした。これをぶっ続けで3時間やる塾でした。終わるといつもヘロヘロだった記憶はあります。って書いているとすごく嫌な感じの塾だと感じてしまうかもですが、授業のやり方の残酷さとは正反対の性格をした穏やかな先生が飄々と分かりやすく解説するので、簡単な問題なんだと暗示にかけられるてしまう不思議な力を持った先生でした。SAPIXの先生達も印象的でしたが、この先生もすごかったです!!ネットで調べても手がかり出てこないので、本当にアングラな塾だったのかもしれません。でも、通っている子は御三家目指している子が多くて、どういうツテで集まっている生徒さんが多かったのか今だに謎です。。
小学時代までで思い出いっぱいになってしまいました。。。けっこう母ちゃんの母も子供の習い事に対してはとっ散らかっていましたね😅 でもそんなとっ散らかりなおかげで、勉強楽しいかもと思わせてくれる先生達に出会って、刺激的な経験もしたと思うので、私の性格的には良かったと率直に思います。中学受験の塾が始まってからは土日も休みなくでしたし、その前の今回検討した習い事をやっていた時代も週2で通っていたものもあり、ダブルヘッダーの曜日もけっこうあって、あっちこっちに行ったりで忙しかったですが、ちょこまか動いているのが性に合っていたようです。だから今でもけっこう外に出たがりなんですね、と納得しました😄 そんなこんなで小学校時代は人生最高に忙しかったんですが、小学校の友達とも毎日30分くらいは帰宅後遊んでいました。30分で帰る子って思われていたかもしれませんが、忙し過ぎてそれについて友達がどう思うのかについてまで気にする暇がなかったのでやだな〜とか私が感じることはありませんでした(単に鈍感という説もありますが)。なので、今、教育虐待という言葉を目にすることもあるのですが、私のようにスケジュールぱんぱんな方が賑やかで良いと思う子供も少なからずいると思うので、その言葉を変に恐れず、我が子の性格・性分をしっかり見ていくっていうのが大事なんでしょうね〜。教育学者じゃないから分かりませんが、、
ちなみにぶQと四谷大塚とSAPIXは1人で電車で通っていたのですが、当時は携帯電話などなくて改札口にあった公衆電話から今から帰るよーと連絡して、いつも地元の駅に母が迎えに来てくれていたんですが、到着時間は何となくだったのに私が待ったことはなかったのでけっこう待っていたんじゃないかなぁと思います。それは感謝ですね!自分の子供が小4になった時に約1時間の電車通塾を1人で送り出す思い切りができるかも今は自信ないですが…でも私自身の経験としては、最初こそ心細かったものの、なんか大人になった気分というか、世界が広がったというか、ポジティブな経験でした。と頭では思うのに、自分の子供となると心配しそうです😉
中学高校時代の習い事はほとんど塾なのですが、こちらで出会った先生方も良い味出してくれていて書き留めておきたいので、もう1回だけブログ引っ張らせてください🙇♀️
中学高校時代の昔話はこちら→
習い事について考えてみました!ー番外編❷ー – 会計士母ちゃんとプログラマ父ちゃん
習い事シリーズ第1話はこちら→
習い事について考えてみました!ーその①ー – 会計士母ちゃんとプログラマ父ちゃん